柔道の成り立ち

柔道は、日本の国技といわれ日本人であれば誰もが知るところであるが、柔道という命名は、明治15年嘉納治五郎が講道館において創始した武道である。「柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ」を真髄としている。柔道の原点は、武家社会の武芸十八般といわれた武士の武術のひとつとして江戸時代に発展した柔術である。その流派は当時百を超えていたといわれている。当身技、関節技、絞め技を中心とする天神真楊流柔術と投げ技を中心とする起倒流柔術の技を基本に「崩し」という原理を取り入れ、整理体系化をし修身法、練体法、勝負法と精神修行を取り入れたものを柔道と名付けた。その後東京下谷の永昌寺に講道館を創設した。現在、講道館の所在地は、文京区春日一丁目に移転し柔道家の本山である。

柔道衣から柔道着

柔道の道衣は、柔道の原点である柔術の稽古衣を着用して稽古をしていました。柔道ができ始めた当時、柔術と柔道が混在していたこともありまた、柔道自体が新しいものであったこともあります。1922年に講道館において、嘉納治五郎が船越義珍に演武・指導を行いました。その時に、船越義珍が着用したのが柔道衣であり、げんざいの形の柔道着の原型となっています。この柔道着と空手着は、同じものであるのです。空手は沖縄が古くから行っており、のちに柔道が伝わりました。本土のほうはその逆となり、あとから空手を行うようになったのです。その際に柔道をやりそのまま空手を学ぶといったことから、お互いの衣が同じものとなっていくようになりました。

柔道の段級と帯

柔道では、段級位制をとっているが、嘉納治五郎が段位制を古くから取り入れていた将棋・囲碁に習い武道として初めて取り入れたのである。警視庁では、級位制を取り入れていたために、段位制と級位制をとりあわせて段級位制を柔道にとりいれたのです。いまでは、初段が黒帯であるということは広く海外でも知られるようになっています。柔道の帯は洗わないのが常識となっており、長い年月稽古に励むことで黒く変色していくさまから、黒い色が強さの象徴として現在に残ったと考えられています。おおむね、成人の部では、3級から1級は茶帯、段位は黒(さらに進むと赤白・赤などある)、それ以外は白と分けられている。また、昇段には柔道の強さと修行の年月があり、オリンピック金メダリストの谷亮子は4段である。

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